北海道旅行 宗谷本線廃止予定駅巡り②

北海道旅行 宗谷本線廃止予定駅巡り その2

 名寄を過ぎると、いよいよ道北も道北です。

名寄~音威子府間 (廃止予定駅:北星 南美深 紋穂内 豊清水)

10:12 名寄駅着

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名寄(なよろ)駅です。名寄まで来ると大分北の方まで来た感が有りますけど、旭川稚内を繋ぐ宗谷本線の路線距離的にはまだ1/3も来ておりません。しばらく進むと盆地を抜け山間部に入っていくので、距離的にも時間的にもまだまだ先は長いです。

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ひたすら北へ、、、何もない、、、

 

11:01 智東駅跡着

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廃止予定駅だけでなく、廃止済み駅にも訪問。

名寄駅を抜けると宗谷本線は天塩川の東側を沿うように走っていくのですが、名寄の次の日進駅の先にこの智東(ちとう)駅はありました。駅前には冬季閉鎖される細い道一本が通り、民家は一軒もありません。ホームらしきものが現存していました。

 

さて、次なる廃止予定駅・北星に向かって車を走らせたい所ですが、

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地図の通り、一度智恵文駅まで向かってから引き返さなければ北星駅には辿り着けません。探せば直で行く旧道とかあったのかもしれません。

 

11:16 北星駅着

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これが駅前広場です。本当にぱっと見駅があるとは思えないですね。

ですがこの広々とした駅前を見ると、かつてはこの地にも若干の賑わいが有り、今後の繁華を願って駅が作られたのだろうなぁと感じます。

因みに、「北星」という名はアイヌ語源では無く、名寄の「北」部のある山地と、輝く「星」の様に、の二文字を取って名付けられたそうです。

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これが待合室。この一目見たら忘れられない強烈なインパクト。「毛織の北紡」はかつて旭川にあった紡績会社名らしいですが、何故北星駅で大々的に宣伝していたかは不明。てか、まずは「北星駅」の駅名標を取り付けるべきだったのでは・・・?

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これが待合室内部。地面は割れちゃっています。

内部は完全に虫の住処となっており、駅寝は相当キツそうです。

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そしてホーム。最大限にコストカットされた簡易的な板張りのホームです。

画像左側には民家が見えます。

2020年現在、北星駅前には1世帯のみが居住しているそうで、今回偶然畑仕事をしている家主の方の姿が確認できました。この時勢なので軽い会釈を交わしたのみですが、北星駅の思い出やら廃止についての思うところを聞いておきたかった…。

 

11:44 南美深駅着

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 名寄市から美深(びふか)町を目指す途中。南美深駅の姿が見えて参りました。

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こちらが南美深駅の待合所。一切の窓が無く、まるでMinecraftで作ったかの様な小さな小屋です。

何気に待合所の端に駅名標が貼ってあり、そしてまた放置自転車です。まあ、駅周辺には何軒か農家が存在しているので、普通に定期利用客がいてもおかしくは無いですが。

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板張りのホーム。

正直、手前の北星駅とこの先の紋穂内・豊清水駅の衝撃が大きすぎて、あまり印象に残りませんでした。

 

12:05 紋穂内駅着

読み方は「もんぽない」。非常にアイヌ味のある地名です。(素人並感)

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駅前です。こちらは非常にアクセスが面倒臭く、国道から横道に逸れ、更にもう一度横道を逸れた先の行き止まりに位置しています。

 

そして、、、

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遂に現れました、通称「ダルマ駅」。車掌車を改造して作られた貨車駅舎の事であり、殆どが北海道に存在しています。(この後も何駅か登場します)

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この様に綺麗に塗装されているダルマ駅(宗谷本線・筬島(おさしま)駅)もある一方で、紋穂内駅は非常に塗装の劣化が激しく、「これが現役の駅なのか…。」といった感想を抱いてしまいます。

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肝心の駅舎の内部を撮り忘れてしまったのですが、ホーム側からの写真がこちらです。

 

因みにこの様な貨車駅舎、その1で紹介した智東駅にも設置されていた過去があり、廃止後は「トロッコ王国美深」という施設内の待合室として生まれ変わったそうです。

紋穂内の貨車駅舎の未来はどうなるのでしょうか…。

 

訪問を終え、次の廃止予定駅の豊清水(とよしみず)駅に向かおうとした所、なんと駅前広場で巡回中のパトカーと遭遇しました。職質だけは勘弁(時間的な意味で)と思っていたのですが、特に何も言われませんでした。

駅の廃止が決まると「盗り鉄」が横行したりするんで、監視の目が強くなっていたのかも知れません。

 

12:28 道の駅 びふか着

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樹液100%ジュースと名物の「くりじゃがコロッケ」を購入。

同施設内にあった「美深チョウザメ館」が非常に気になりましたが、今回はスルー。

 

12:47 豊清水駅

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国道から脇道に逸れ、ガタガタの小路をしばらく走ると豊清水駅が見えました。今回の駅巡りの中でも、最も訪問に苦労した駅と言っても過言ではありません。

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駅前です。完全に崩壊している廃墟が1軒あるのみで、正真正銘の無人地帯です。国道を逸れてから、民家1つたりとも観測出来ませんでした。

そもそも何故こんな場所に駅が設置されたのか。近隣住民からの希望で設置され、今後開拓を進め、豊かな土地を目指すという名目で「豊」清水と名付けられ、しかし人は去り、駅だけが残されるのみ。そしてその駅も役目を終えてしまう訳です。

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そんな寂しい駅ですが、設備は立派です。駅舎は歴史ある木造建築で、内部には窓口の跡もありました。かつては有人駅だったのでしょうか?

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ホームは1面2線で、現在も待避線として用いられているそうです。駅業務廃止後も、信号場として運用されそうです。

 

因みにこの豊清水駅

【微閲覧注意】

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周辺に異常にカメムシの生息が多く、視覚的にも嗅覚的にも滞在がハードでした。。

画像をズームすると、ドア付近に大量のカメムシの死骸が転がっているのが分かります。これは駅舎内でも同様で、これまでの駅では長々と駅ノートに感想を書いていたのですが、当駅ではさっと書いて早急に脱出しました。

しかし、Twitterでは1日前にここで駅寝した報告もあり、只々畏敬の念。

 

13:15頃 音威子府村に突入~

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一路食堂で音威子府名物の黒そばを堪能。注文から出てくるまで1時間近くかかりましたが、味は絶品。弾力が強く、噛めば噛むほど独特の後味が残る蕎麦と、あっさりとしたスープが絡み合う至高の一品。また行きてえなぁ。

 

次回は、音威子府から稚内を目指します。

その3に続く

北海道旅行 宗谷本線廃止予定駅巡り①

北海道 宗谷本線廃止予定駅巡り その1

JR北海道は2020年10月14日(水)、2021年春以降、利用客が少ない宗谷本線などの18駅の廃止を進めると発表しました。

 

これは秘境駅好きとしては由々しき事態。

廃止予定駅リストには、北星、豊清水等の日本屈指の秘境駅も含まれており、流石に一度も現地に行くことなく消滅してしまうのは避けたい…。

 

という事で、廃止予定の(ほぼ)全駅を巡る旅行をして来ました。

旭川~名寄間 (廃止予定駅:南比布 北比布 東六線 北剣淵 下士別)

10/20(火)  6:30頃 旭川駅

 なるべく訪問時間を稼ぎたいという事で、当初は6時丁度に出発する予定でしたが、   前日日高本線の不通区間や夕張支線を遅くまで訪問していた影響もあり、案の定寝坊。 朝飯をセコマで調達し、北へと向かいます。

 

7:11 北永山駅通過

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北永山は廃止予定駅ではないですが、通りかかったので。

ホームと待合室だけの簡易的な駅ですが、近くに高校もあり利用客は多いらしいです。実際この時も二人ほどの利用客がいました。

 

7:26 比布駅着

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PIPPU(ぴっぷ)駅にも寄りました。この町は、「大雪山が一番綺麗に見える町」として売り出しているらしいです。実際綺麗でしたね、一番かどうかは分からないですけど。

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ピップと比布の夢の(?)コラボレーション。こう見ると、駅名表にでかでかと三つも「P」の文字が書かれているって結構なインパクトですね。関東圏だと一文字でも「YRP野比」しか浮かばないです。

因みに北永山~比布間に、廃止予定の南比布駅があったのですが、この駅は比布駅から比較的近く、電車の本数が少ないが為に需要を問題視されたという経緯だと思われるので、今回はスルーさせて頂きました。アクセスも国道下で少し面倒だったので。

 

7:41 北比布駅着

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 廃止予定駅、北比布です。板張りのホームに、比較的新しめの待合室。多分南比布駅と同じ形のものです。

周辺には数軒の民家のみですが、稲作地帯という事もあり周辺は開けています。

宗谷本線の多くは比布駅で折り返し、また通過する列車も多く設定されていることから1日の停車列車はごく僅か。まあわざわざこの駅を使う位なら、車で比布駅まで行くよなぁ・・・。

 

8:08 塩狩駅着

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ここも廃止予定駅ではありませんが、北海道では珍しい山間部にある駅なので。

名の通り「塩狩峠」の舞台となった地ですが、駅前の塩狩峠記念館はまだ空いていませんでした。

実は数週間前にもこの塩狩駅には訪問したのですが、その時はほぼ緑一色だった景色に紅葉色が混ざり始めていて、季節の変わり目を感じました。

 

8:35 東六線駅着

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 塩狩駅を抜けてから国道40号をひたすら北上し、しばらく行った所で畑に挟まれた狭い道を左折したところに、東六線駅はありました。

上画像は待合室なのですが、表記は「東六線乗降場 待合室」。かつて仮乗降場だった時代の名残なのでしょうか。(画像中央に見えるチャリは不法投棄だと思ったけども、まだ新しい感じでした。もしかして定期利用客がいるんだろうか?)

因みに、左折する時に見えた看板も「← 東六線乗降場」でした。乗降場のまま廃止されてしまうのね。

また、こういった駅に有りがちな駅ノートも設置されていませんでした。駅の内部もあまり整備されている感が無く、「見放された秘境駅」って感じでした。一番悲しい。

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こちらは駅のホーム。見ての通り周辺にはほぼ何もありません。

周辺に何も無かったから、仕方なく道の名前(東六線)を拝借したんだろなぁ、そういえば廃・ちほく高原鉄道線にも「西一線」「分線」って秘境駅があった様な・・・

 

9:07 北剣淵駅着

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これが当駅の待合室です。廃墟にしか見えないこの小屋の中にもしっかり時刻表やら運賃表が張られていました。今にも倒壊しそうですが、まだ待合室としての機能は保っているみたいです。

北剣淵駅は名の通り剣淵駅の北の方にある駅ですが、北海道って一つ一つの都市はそれなりに規模があるのに、都市同士を繋ぐ道中は本当に果てなく森、草原、山なんですよね。だからこういう「方角+都市名」の駅は大体過疎地帯なんですよ、悲しいことに。

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周辺には何軒か家があり、強烈な秘境駅って程ではないですが、ホームが鉄道林に囲まれている為非常に写真映えします。札沼線の「豊ヶ岡」みたいな感じです。

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そういえばここにも放棄自転車がありました。しかもまた新しい感じの。もしかして同一人物なのでしょうか…?

9:37 下士別駅着

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北剣淵とは一転、下士別は国道40号線のすぐ近くという事もあり割と開けた雰囲気の駅でした。(まあだからこそ態々鉄道で利用する人は少ないんだろうが…)

下士別に限らず、士別~名寄間は殆ど国道と並走しています。ひたすらに真っ直ぐな道が続く名寄盆地を車で走るのは気持ち良いですね、僕は運転していませんが。

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(手が入っちゃった)

待合室はまるで民家の様な作りでした。内部もヒーターが効いていて、長めのベンチと漫画まであったので駅寝には最適ですね。掃除も定期的にされている感じで、地元の方々から愛された駅だったのでしょう。廃止後も取り壊さずに、休憩所や記念館として残って欲しいですね。

 

その2に続く